#1 レッキング・クルー

ミッドナイト・ランブル・ショーのはじまりは「レッキング・クルー」から。60年代〜70年代のカリフォルニア、栄光の時代を支えたスタジオ・ミュージシャンたちを大特集。レッキング・クルーの足跡を辿ること、それは即ちアメリカ西海岸ポップ・ミュージックの歴史を辿ることなのです。その後の特集にも往々にしてレッキング・クルーの名前が数多く登場しています。第一回にこのテーマを選んだことには大きな意味があったのかもしれません。いやしかし、2時間で語り尽くせるほど甘くはなかった!いつかまた特集したい。

今回のジングルはこちら。

プレイリストからの厳選&MRSからのレコメンドです。

レッキング・クルーを重用したプロデューサーといえばフィル・スペクター。彼といえばやっぱりこの曲。有名すぎるイントロのドラムですが、ドラマーのハル・ブレイン曰く、誤って録音中にスティックを落としたことで、このフレーズが生まれたらしい。

もう一曲フィル・スペクター・ワークスを。

レッキング・クルーは所謂ゴースト・ミュージシャンを数多く務めています。最も有名なのはこの曲でしょうか。12弦ギターだけはメンバーのロジャー・マッギンが弾いています。ビートルズに衝撃を受け、当時所有していた全てのギターを売っぱらってリッケンバッカーの12弦を買ったマッギン、報われてよかった。

手練揃いのレッキング・クルーは、楽曲のアレンジにも深く関わるようになります。ソニー・ボノ作曲のこのワンコードの単調な曲をヒットに導いたのは、キャロル・ケイが提案したウォーキング・ベース・ラインでした。

この大スターもレッキング・クルーと共にアルバムを制作しています。録音は大きなスタジオに全員が集結して一発録り。ギタリストのグレン・キャンベルは憧れのシナトラの真横に位置取り、大スターに熱い視線を送りますが、シナトラは自分に気があると勘違いし、気味悪がったようです。

レッキング・クルーのメンバーから、シンガーとして花開いたミュージシャンもいます。グレン・キャンベルもその1人。イントロのキャロル・ケイのベースライン、それに呼応するジム・ゴードンの素晴らしいドラミング。作曲者のジミー・ウェッブはレッキング・クルーと組み、若くして数多くの賞を獲得しています。

ブライアン・ウィルソンの果てしない想像力を具現化するためには、レッキング・クルーの力が不可欠でした。

ニール・セダカ作曲のポップソングは、レッキング・クルーの名ドラマー、ハル・ブレインがプレイした最後のトップ10シングル。70年代になるとギャラの高騰、録音方法の変化などにより、レッキング・クルーは徐々に仕事を失い始めます。シンガーやバンドマン、楽器の先生、警備員、そして塀の中に入る者など、それぞれの道を歩むことになります。

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